IESEへの期待と現実 - 1st Termを振り返って

初めまして。IESE一年生のD.Sです。9月20日より始まったIESEでの生活もあっという間に1学期を終えました。今は既に2学期が始まったところになりますが、ここで1学期のクラスに関して振り返りたいと思います。僕が抱いていた期待に対して実際どうだったかという形で振り返り、気づきをまとめます。

期待と現実

僕はIESEのクラスに2つの期待をしていました。徹底したケーススタディとマジョリティのないのダイバーシティです。現実は、どちらも当初期待を超えるものであると同時に新たな気づきを与えてくれました。

 

徹底したケーススタディ

僕は徹底したケーススタディ主導でのクラスをIESEに期待していました。その点申し分ありませんでした。リーダーシップやマーケティング等のクラスは100%、アカウンティングやデシジョンアナリシスといった基礎知識が大きく求められるクラスにおいてもケーススタディの比率は前者で40%、後者で80%程度をケーススタディが占めていました。その分クラスに臨むに際して求められる準備のレベルも高まります。自分の加減を超えるレベルでのそういったプレッシャーこそ良いチャレンジになると思います。

 

一方で、経験を通じて3つの新たな気づきを得ました。

 

まず、クラスディスカッションへ貢献する難しさと楽しさです。1クラス75分の中で70人程度のセクションが議論をかわします。ケーススタディ中心のクラスが多いと言うことは、クラスディスカッションへの貢献が成績に占める割合が大きいということです。高いもので50-60%になります。クラスを開始し、ひとたび教授がクラスに問を投げかけると半数以上が手を挙げます。そこからディスカッションのフローが始まります。難しいのは、その非常に柔軟性の高いフローの中で、タイミング含めて自身の主張を立て、ポジションをとることです。多くの意見が様々な角度から出ます。教授が強く指揮をとることもありません、ポイントポイントで軌道修正をすることもありますが、問を深め、広げ、クラスの議論をゆるやかにコントロールします。オーケストラというよりはジャズに近いでしょうか。なので、自分がいかに筋の良い意見、面白い意見を持っていても、議論のフローを理解していないと発言するのが難しいですし、流れを外す/変えるような意見であれば(往々にして重要な学びはそのような意見から生まれるのですが)それをやりきるだけの主張が求められます。楽しいのは、それを成し得ることです。自分の投じた意見、奏でた音に周りが加わって価値のある議論が生まれていくことは本当にエキサイティングであり、楽しいのです。

 

次に、学びの深さは自分が規定するということです。上記のようなディスカッションが75分なされ、教授が最後に簡単にラップアップし、時折ケースの後日談を話、クラスは終わります。そこから何を得るのか、それは自分が何を求めてそのクラスに臨んだのかが規定します。予習を十分にせずに臨んだクラスから得るものは往々にして少ないです。なぜなら自分の中にそのクラスから何を得たいのか、クラスで何を問いたいのかが不明確だからです。問なくして答えは得られません。目標なくして成果は得られません。そして、その75分間のクラスをいかに濃いものにするのか、それは自分のクラスへの貢献が規定します。クラスの議論の質が良くないと感じた時、浅いと感じた時、それを良い物にするかどうか、深めるかどうかは自分にかかっています。自分と同じ意見をもった他のクラスメイトが動いてくれることも勿論あります。しかし全てがそうではありませんし、そうであってはならないと思います。その感覚、意見の違いこそが自分の存在意義であるからです。他人と全く同じであるなら、周りからして自分がそこに存在する価値はありません。自分の得たい学びにたどり着くためには、自分の準備と貢献が求められます。そしてその経験を通じて、自分のクラスの中でのポジションがつくられます。

 

そして、ケースディスカッションを楽しむ仕組みの存在とその大切さです。上記のようなケースディスカッションなので、常に張り詰めた空気の中でシリアスに議論がなされているかというとそうではありません。時折クラス中の笑いを誘うような意見を出す人もいますし、突き詰め考えに考え抜いた結果、当たり前の事柄がすっぽり抜け落ちてしまうような“天然”の意見がでるときもあります。クラスに笑いの渦が生まれます。そういった発言をした人に対して何が起こるか、賞(?)が与えられます。理由を調べていないのですが、カウ(牛)のぬいぐるみが渡されます。毎週金曜日のクラス後に、月曜日からノミネートされてきた今週の面白発言がおさらいされます。それに対してクラスで投票し、翌週カウが誰のもとに置かれるのか決まるのです。当人のネームプレートの横に置かれるので、教授に対しても“彼女/彼は面白いことをいったんだな”と一目瞭然です。更には、一学期であれば期末にクリスマスボールというクリスマスパーティがあるのですが、その場で、セクションまたがってのCow of the yearが決められ、賞が与えられます。

 

また、教授によっては、“同じ意見を言ったら1€ペナルティ”というルールを設けます。議論が白熱していると、そして日々の学習で疲労が蓄積していると、周りの議論を十分に追わずに自分の意見を言うケースが発生します。それを予防する効果があります。似た発言があった際には、最初の発言者へ“今の彼女/彼の意見は君と同じかい?”と確認し、同じであったらペナルティが発生します。ペナルティの判断が生徒に委ねられるわけです。その瞬間の微妙な空気はいつでも面白いです。また、教授が生徒の意見を聞いていなかったケース、教授の携帯電話がクラス中になったケース等は、彼も同様にペナルティを受けます。そのお金はぶたの貯金箱へ貯められ、外部団体へ寄付としておくられます。

 

こういった、シリアスな議論を重ね深めていくことだけに偏らず、それを楽しめるちょっとした工夫がなされていることは僕にとって新しく、その仕組の大切さは議論が白熱・迷走した際に強く感じられました。

 

マジョリティのないダイバーシティ

僕は、学生の、マジョリティのないダイバーシティをIESEに期待していました。その点申し分ありませんでした。学生は60カ国程度から集まっており、最も多いスペインであっても全体の25%未満におさまるよう配慮がなされています。セクションの中で、8人程度のスタディグループがあり、そのグループで日々の学習、チームアサインメントに臨みます。僕のチームは、スペイン、アメリカ、ポルトガル、ポーランド、クウェート、コロンビア、インド、日本(順不同)で構成されています。オリエンテーションの時点で、Multi-Cultural Teamに関するディスカッションがあり、そこでのリーダーシップ、チームワークのポイントが理解できます。また、オリエンテーション期間にはチーム憲章の作成やチームアクティビティがあり、チームメイトが互いを理解し、チームとして成り立つ手助けがなされます。

 

マジョリティがないダイバーシティが良いのは、各人が、各人と違うという前提にたち、その違いを理解・尊重しようとする姿勢が自然と生まれる点にあります。マジョリティが存在すると、そのマジョリティにおける振る舞いであったりそこでの期待を汎化して適用するという行動様式が生まれやすくなります。そうではなく、チームでの議論であっても食事に行く際であっても、日常の何気ないシーンであっても互いの違いを理解・尊重しようとする。これは、生まれた国、育った国が違うという点にとどまらず、非常に大切なことであると考えています。住む場所はバルセロナですので、スペインでのマナーであったり、感情表現であったりということはスペイン人の仲間に教えてもらいそれに倣います。

また、英語に関しても同様です。英語を母国語としない人が多いため、相手の英語を丁寧に聞こうという姿勢が生まれやすくなります。裏を返せばTOEFLで学んだような英語を話す人は限られているということです。英語に関して言えば、この環境ではキレイな英語が身につきづらいという解釈もできます。一方でキレイな英語を話す人よりもそうでない人が多いため、ここでの英語でのコミュニケーションが現実的な、生きた英語だ、という解釈もできます。

 

いずれにしても、各人が違うという前提に立ち、その違いを理解・尊重しようとする姿勢を持って仲間と切磋琢磨していけるというのはとても大切でありがたいことであると考えています。